2018年03月07日

だれかのための作品を描くこと

とある企画に1枚イラストを寄稿しました。その詳細は後ほど。
その作画中に考えていたことをちょっと呟きます。んーなにから話せば良いのかよくわからないのでよくわからなかったらごめんなさいです。

今年1月の末頃、挿絵を描いて欲しい小説描きさんと挿絵を描きたい絵描きさんの集まりに参加しました。集まり自体は、がつがつしたものではなく、ご縁があれば、のハードルの低い所から、はじまる感じのものでした。その場で作品の交渉まで行かずとも、交流が出来た方や、普段聞くことの出来ない経験を聞くなど、たいへん有意義なものでした。
私は、2015年に飲食系掌編小説アンソロジー【なないろ世界の食歩記】の表紙ではじめて小説という媒体に絵を描かせて頂く、という機会を頂きました。そのときも呟きましたが『小説の表紙を描かせて頂く』というのは私の結構前からの夢で、それが叶った瞬間でもあったのでした。
話を戻しますが1月の集まりで、とある小説書きさんに聞いたお話がちょっと衝撃的だったのです。その方の御本(同人誌)の表紙は、プロの方が担当されていました。小説書きさんが受け取った印象か、絵描きさんが小説書きさんに仰った言葉なのかちょっと記憶が曖昧なのですが、その小説書きさんはこう仰っていました。
『プロとアマチュアの違いは、対象となる作品に自分という傷を付けるかどうか』
プロの方の考え方は、小説という作品にイラストを描く時、そこに自分はあってはならない、という考えです。この考えは理解出来ます。大学生時代の授業中にも聞きました。そしてアマチュアは、どうあっても傷を付けたがってしまうものだ、という考えも痛いくらい理解出来ます。本当に痛いくらい。

そしてわからなくなりました。
今、依頼などで“他人の世界観で描く”予定のある作品がいくつかあります。全て同人ベースですが、だからといって手を抜きたいとかそういう感情はないのですが。
自分を一切捨てて、傷を付けずに、他人の世界観に寄り添いきって描いた方が、依頼してくれた人のためになるのだろうかと、1月からずっと考えていました。今まで傷を付けて来たと思ったら、怖くて怖くてどんどん自信がなくなりました。

最初に言った寄稿イラスト。あれは音楽関連の企画で、作曲者さんの言葉のイメージから1枚イラストを描く、というものでした。他人の世界観です。ぐるぐる考えてはいたのですが。
描けば描くほどわたしのイラストになってしまう。言葉のイメージを読み込んでも読み込んでも。
手を抜いてるつもりはないし、出来るだけ世界観に寄り添ったつもりだった。だからもし、提出先から返ってきたらもう一度描きなおそうと思っていたくらいだったんですけど。主催さん、すごく喜んでくれて。
もうひとつ、数日前に近いことがあったんです。こっちはまだまだ完成まで長い話ですが、とある文章描きさんの作品を漫画化する企画が立ち上がっていて、人の文章を漫画化するなんてはじめてで、ネームを描けば描くほど私のネームになってしまうのに、その方、すごく良いって言って下さったんです。
それらが、安心すると同時に嬉しくって。

で、その音楽関連企画のイラストが私の手を離れたとき、ふと思い出したことがあって。
高校生のころ、絵描きの友人と喋っていたとき「岡亭はイラストレーターにはなれないよね」って言われたこと。これ、嫌な感じが全然しなかったのは、友人が否定的な意味で放ったわけではないから、それをわかっていたから。
無理なんです。他人の世界観に寄り添おうと思うことも、寄り添うことも、作品の詳細を聞くことも願望を聞くことも出来るけど、自分を殺すことが出来ないです。
やっと認められたような気がします。というより、自分ではわかっていたはずなんですけども。

【なないろ世界の食歩記】からいくつか、依頼を頂いて作品を描いてきました。
依頼主さんの作品に、企画の世界観に寄り添えているだろうか、と毎回毎回作品を渡すたびに緊張するけど、自分は傷を付ける方法でしか作品が描けないし、もしかしたらこういうのってばれているものなのかとも思ったりしました…
そして今年のはじめ、恩師の画家の先生(自画像などの依頼も受けている)がかけてくださった言葉は、「人からたくさん依頼を受けられるようになりなさい、そしてその中に少しずつ、あなたの色を混ぜなさい」でした。

私は人との共同作業が得意ではなくて、それでも私以外の人と一緒に作品を作ってみたくて。
どっちつかずで欲張りだけど、それもひとつの創作スタイルなのか…?
このコンプレックスが自信になれば、もう少し息がしやすくなるような気がします。

ここまで読んで下さってありがとうございます!
posted by 岡亭みゆ at 22:36| 考察