2014年06月30日

埼玉旅行紀という名の記憶と時間旅行紀

土日、1泊2日で友人の家に遊びに行ってきました。私ともうひとりとで3人。
私は引越を繰り返しているので生まれた町とか育った町とか聞かれるととても困る質なのだけど、今の所一番長い間住んでいたのが埼玉で、約12年ぶりに、その空気を吸ってきました。
12年って、思ってたよりもでかかったわ。お世辞にも最近とは言えないけど、そんな大昔、とも思ってなかったんだよね。

ほぼ個人的な思い出話なので畳みます。
今見てこられて良かったかもしれない。いろんな意味でとても刺激的でした。

駅から、住んでいた当時は乗ったことのなかったバスに乗った。時折頭の中で、昔住んでた家から学校に行ったり駅に行ってみたりするんだけど、どうしても思い出せない所がいくつもあって、さみしいなと思うと同時にこういうものなのかなとも思っていたのだけど、バスに乗っている途中、そのほとんどを見ることが出来た。頭の中で長い間この先通行止めだった道が繋がったように思えた。パチンコ屋が潰れてコンビニになったり、通っていたエレクトーン教室の1階が居酒屋になったり駅周りだけでも変わったものはきりがないけど、大好きな団子屋さんがまだそのままあったことになんだかすごく安心した。

泊まらせてくれた友人の家は犬を飼ってまして。この子の散歩も兼ねて小学校周辺までぐるっと歩いてみようと、2人が計画していてくれていた。
自分の家から遠いと思っていた友人の家は、大人になってしまった足ではとても近く思えて、昔散々遊んだ家の近くの公園の遊具はとても小さく見えた。その隣の神社に置いてあった遊具、ジャングルジムはもうないだろうなあと思ったら、遊具は全部なくなっていた。代わりに倉庫と、なんかよくわからない祭壇みたいなものが置いてあった。
あの場所は、大学の『自分の原風景』の課題で1番はじめに描いた景色だ。今はもうない。遊具がすべてなくなっていたのはかなりショックだったのだけど、もっとショックだったのは、神社の敷地内から木が1本なくなっていたことだ。たぶんあれが一番大きかったと思う、桜の木。切り株になっていた。あれの根元に、なんでも埋めた。金魚も、エビも、カブトムシも、クワガタも。あれの他にも桜はあったけど、記憶が正しければあれの根元にしか埋めていない。無意識に気に入っていたのだろうか。
家の周りは、1〜2年前に用事があって両親が行って見たのを聞いていたのもあってだいたいの予想はついていたのだけど。まあ、そういう予想ってのはだいたい予想しきれてないんですよね。玄関ドアの周り、草がものすごい繁殖してるの。
あの繁殖力は、ちょっと暴力的にも思えた。その言葉が一番しっくりくる。人間が住まなくなった空間に蔓延る植物の暴力的なまでの繁殖力。ぞっとするやら興奮するやらここに住んでたのに今はもうみたいなのが一度に襲って、すごい複雑な気持ちになって、泣きたいのか吐きそうなのか、よくわからないけどすごく刺激が強かった。写真撮ったけどあとから見たらちょっとブレてた。
公園あたりからすごいマイペースで写真撮ってたけど、その度立ち止まって待っててくれる友人達がありがたかった。自分が明日死ぬ人みたいだと心の底から思った。
家を後にして、小学校へ。毎年白粉花が阿呆ほど咲く登校路の途中のところはラベンダー畑になってた。勝手にトトロの通り道だとか名前を付けていた緑のトンネルみたいな道は緑の欠片もなくなっていた。小学校の周りには、何軒も新しい家が建っていた。
正門の前まで行った。小学校はほとんど変わってなかった。大好きな裏庭の枝垂れ柳の木はもうないけど、ほとんど変わっていないことになんだか心底安心した。百葉箱なくなってる!?とか騒いでたけどちゃんとあったっていうね…
小学校の後はほぼまったり帰路。そこからはいうほどあんまり変わってなかったかな。途中また別のとこでラベンダーみかけて流行ってるのかと…

散歩コースにしてはいつもよりもだいぶ長い距離を歩かせてしまったようで、帰ってからわんこがぐったりでした。付き合ってくれてありがとうね。
ぽかーんと放心しつつも、お酒が入ると元気になるのです。でも今回は特別なことはあんまり喋ってこなかったような気がするなあ。つい数ヶ月前に会ってたのもあるけどなんというか喋り尽くしてる感…(笑)
でも大事なことはいくつか相談に乗ってもらったりぽいと言葉をもらったり、それが今とても欲しい言葉だったりしたのでした。そしてなんでもない時間なにをするでもなく一緒に居られる間柄って本当にありがたいです。

なんかこう、過去に捕われて過去の話ばっかりするのは良くないってずっと思ってたみたいで、でも未来の、これから起こる話をするのもとても怖くて、なにより今現在の自分の話をするのが一番怖くて、時間という時間から逃げ惑っていたのを、今回の旅で思い知らされた。
あの頃は良かった、って思って今の自分を全否定する癖があるんだ。その『あの頃』だって今と同じか下手したら今以上に辛かったかも知れないのに、記憶は勝手に美化される。
この『時間』と『記憶』に対する接し方みたいなものを、すっかり忘れていたような気がする。少々荒療治とも思ったけど、今回この2つについてすごく考える良い機会だった。
あと、こういうのおかしいかもしれないけど、一番最初に漫画家になりたいって思ったの小学生の頃だったから、今漫画描けなくなってつらくてもう辞めたら良いのにってずっとずっと思ってるのに小学校の校舎見たら「あっ漫画描かなくちゃ」ってなったのは、あれはたぶんポジティブな意識だったと思いたい。
2人とも2日間ありがとうね!!


教えてもらった曲をずっと聴いている。

posted by 岡亭みゆ at 23:48| 日記